夏休みの定番商品が市場から消えた!禁断の玩具「昆虫採集セット」【連載:懐かし玩具アーカイブス】

更新日:2016年8月18日 20:19
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昭和っ子たちを夢中にさせた「懐かし玩具」を、レトロ系ライターが紹介する連載企画。今回のテーマは、70年代までは「学習教材」「教育玩具」として定番商品だったにもかかわらず、80年代以降は「危険物」として排斥され、市場から姿を消してしまった「昆虫採集セット」だ!

 

 

♪夏がくれば思い出す……

8月もそろそろ中旬。夏休みも後半にさしかかり、遊び呆けていた小学生たちも宿題のことが気になりはじめるころだろう。

 

筆者も宿題を最後の最後まで放置しておくタイプの子どもだったので、9月直前になると毎年のようにパニクった。特に苦労させられたのが、ついつい後まわしにしてしまいがちな自由研究だったなぁ……なんてことを考えていると、必ず脳裏に浮かんでくる懐かしいオモチャがある。今では跡形もなくその存在が消えてしまった禁断の玩具、「昆虫採集セット」だ。

 

▲典型的な「昆虫採集セット」2種。70年代までは多数のメーカーが同種の商品を販売していた。写真のセットは70年代後半から80年代前半にかけて製造されたものと思われる。

 

ここで紹介する「昆虫採集セット」は、デパートや専門店などで売られる本格的な「昆虫採集セット」ではなく、あくまでも駄玩具である。駄菓子問屋の流通ルートで街の駄菓子屋、文具店などで販売されていた商品だ。

 

駄玩具の多くは詳細な資料が少なく、こうした記事で歴史的経緯を紹介する際は非常にやっかいなのだが、なかでも「昆虫採集セット」は謎めいている。
外圧によって強制的に「なかったこと」にされてしまった商品でもあり、特に70年代以降はメーカー側にも「こっそり売る」みたいなノリがあったようだ。

 

一説によれば、この種の安価な児童向け「昆虫採集」セットは、50年代なかばにはすでに駄菓子屋の定番商品になっていたという。

 

が、60年代後半ごろから各地のPTAから危険視されるようになり(この時期に事故の報道があったとされる説もある)、徐々に肩身の狭い立場に追いやられていく。

 

なぜ大人たちから「危険物」扱いされたのか?
それは、セットの箱を開けば一目瞭然だ。

 

▲「パンドラの箱」(笑)の中身。メーカーや価格帯によって多少の違いはあるが、上記のセットがもっとも基本的な内容。

 

おわかりいただけただろうか?

上記の写真が最も安価なタイプで、最小限のセットだ。この基本内容はすべてのセットに共通で、メーカーや価格によってさらに「虫ピン」「ピンセット」「殺虫管」(殺虫処理用のビン)などが付属する。 つまり、商品名は「昆虫採集セット」だが、昆虫を採集するためのセットではなく、採集した昆虫を標本にするためのセットなのである。

写真の商品はおそらく200円で販売されたもの。200~300円あたりが主流の価格帯で、500円以上になると箱はプラ製となり、解剖用のメスなども追加される。

 

では、基本セットの個々のツールについて見ていこう。
あまりにチープな「虫メガネ」はどうでもいいので省略するとして、まずはいかにも怪しげな2つの小ビン。

 

▲内容物についていっさい明記されていない謎の小ビン……。

 

これ、驚くべきことに、中になにが入っているのか、どこにも書かれていない。内容物の成分を示すラベルなどは貼られていないし、外箱にも記載はいっさいないのだ。
というか、この「昆虫採集セット」の恐ろしいところは、商品内容に関する表示どころか、取扱説明書もなく、メーカーの名称や所在地さえも、商品のどこにも記されていないのである。

 

ひと世代前の商品にはちゃんとメーカー名が明記され、説明書も付属するセットが多かったと聞くが、少なくとも筆者が小学生だった70年代なかごろには、多くのセットが「どこの誰が製造しているかわからない」といった形になっていた。

 

まぁ、当時の駄玩具にはそういうモノが多かったのだが、おそらく世間の風当たりを考慮した対応でもあったのだろう。

 

しかし、まったく成分不明の2種の薬液を、当時の子どもたちはどう扱ったのか?
これについては、昭和っ子たちはまったく困惑しなかった。「赤いビンが毒薬(殺虫液)、青が保存液」は我々の共通認識で、常識だった。少なくとも当時の男子でこれを知らないヤツなど存在しない。こういう情報は口コミのみで子どもたちに伝承されていたのだ。

▲どのメーカーのセットにも赤と青のビンが入っていたが、薬液の成分はメーカーによってさまざまだったという。いずれにしろかなりいい加減なものだったらしい。両方ともホルマリンやエタノールの水溶液というケースのほか、単に色水を詰めただけの商品も多かったようだ。

 

さて、いよいよ「危険」の核心部分である。

 

「昆虫採集セット」が「社会悪」として排斥された直接の原因となったのは、すべてのセットに付属していた注射器だ。

 

もちろんこれは、カブトムシなどの昆虫に殺虫液・防腐液を注入し、標本化するためのツールだ。言うまでもなく、鋭利な針の付いた本物の注射器である。ちょっと価格の高いセットには、ご丁寧に「換え針」のセットまでついていた。

 

▲今の感覚では「あり得ないっ!」と叫んでしまいそうな超リアルな注射器……っていうか、完全に本物の注射器である。医療用注射器を流用したものと思われ、もちろん針も本物だ。

 

小学生向けの駄玩具として、あろうことか「毒液」と本物の「注射器」のセットが売られている!

 

これは現在の感覚では完全に「アウト!」だろう……っていうか、当時もやはり「アウト!」であり、商品が定番化したころにはすでに一部の大人たちが騒ぎだし、70年代を通じてことあるごとにやり玉にあげられ、そして80年代なかばから後半あたりに自粛という形で多くのメーカーが撤退し、そして90年代までには、ついに「昆虫採集セット」はこの世から完全に消えてしまったのである。

 

 

昭和駄玩具の「野蛮さ」

ことほどさように、「昆虫採集セット」は弁護の余地のないほどに「危険な玩具」である。

 

しかし、その「危険さ」に、70年代の子どもたち、そして、その親などの大人たちがどんな態度で接していたのか、そのあたりの感覚は、平成世代にはかなりわかりにくいと思う。

 

「『昆虫採集セット』で遊んでいた子どもたちが事故を起こした」という噂は、なかば都市伝説のような曖昧な事例も含めて、我々世代も親や学校の先生からさんざん聞かされていた。多くの親は子どもたちが「昆虫採集セット」を買ってくると顔しかめ、口を酸っぱくして「気をつけなさいよ!」と注意していたはずだ。

 

▲この玩具ならではの「危険」な感じは、一種特別な魅力でもあった。玩具でありながら「本物の道具」であるという部分に、多くの子どもたちが魅了されていたと思う。写真はピンセット、虫ピン付きのセット。

 

しかし、80年代に入って「意識の高いPTA」の一群が本格的に問題視して抗議行動を起こすまでは、たいていの先生や親たちは「必要悪」のようなものとして黙認していた。

 

我々世代の男子で「昆虫採集セット」を一度も買ったことがないという子はほとんどいないはずだし、筆者自身、毎年のように夏になると買っていた。「昆虫採集セット」を利用した標本は夏休みの自由研究の定番であり、多くの子が休み明けに先生に提出していた。それが普通の光景だったのだ。

 

ほとんどの親や先生たちは「気をつけなさいよ!」と繰り返しはしたが、少なくとも80年代までは、「昆虫採集セット」を「買うな!」とか「売るな!」とまでは言わなかったのである。

 

こうした状況には、主に70年代までの昭和の「野蛮」な駄玩具事情が大きく影響していたと思う。

 

当時の駄菓子屋における男児向け駄玩具の定番といえば、基本的には「危険物」だった。使い方を誤ればすべて「凶器」だ。

 

肥後守やボンナイフなどの携帯ナイフ、癇癪玉、爆竹、巻紙火薬、煙玉などの火薬玩具、銀玉鉄砲、ブーメラン、パチンコ(投石器)などの武器類は昭和男児の必需品である。
▲60年代まで駄菓子屋ナイフの代表として君臨した肥後守(写真下)と、70年代以降に定番化したボンナイフ(写真上)、ミッキーナイフ(写真中央)。

 

70年代までに子ども時代を過ごした男子で、これらの駄玩具で遊んだことがないヤツなど皆無だろう。そして、その子どもたちの親世代もまた同様である。同様どころか、昭和30年代の駄玩具事情は我々世代よりもさらに「野蛮」だった。全国で事故を起こしまくって発禁となった危険な火薬玩具「2B弾」などが、まだ超定番商品として売られていたのだ。

 

駄菓子屋にはさまざまな「危険物」が平気で売られている―。

 

これは、当時の子どもにとって、また大人にとっても常識であり、それはつまり、この世界には使い方を間違えれば「危険」なモノが無数に存在するという「あたりまえ」のことを、ただ「あたりまえ」に受け入れていた、ということなのだと思う。

 

▲駄玩具拳銃用の火薬類、巻紙火薬(写真上)とカネキャップ(写真下)。巻紙火薬は赤いテープ状の紙に火薬を仕込んだもの。本来はブリキ製火薬鉄砲にセットして遊ぶが、石で叩いたりして遊ぶ子も多かった。カネキャップは専用リボルバーにセットして爆破音を楽しむ。

 

▲こちらも火薬玩具の定番、クラッカーボール。通称、癇癪玉。壁に向かって投げたり、足で踏んだりして破裂させて遊ぶ。パチンコ(下記写真参照)の弾丸としても使われる。

 

そうしたことを我々世代は駄菓子屋で学んだのだ……などとエラそうなことを言うつもりはないし、「昆虫採集セット」を筆頭に、当時の駄菓子屋には「いくらなんでも!」と思うような凶悪な玩具がたくさん売られていたのも確かだ。

 

が、あれだけ多くの「危険物」を、多くの子どもたちがポケットに詰め込んで遊んでいたにもかかわらず、少なくとも筆者の知る範囲で実際に事故が起こったことはなかった。
聞かされた事故の話はすべて噂レベルの伝聞で、「だから気をつけなさいよ!」というお説教のネタになっていただけだ。

 

▲ブーメラン(写真上)とパチンコ(写真下)。どちらも70年代っ子たちの常備品。ブーメランはともかく、パチンコの破壊力はかなりのもの。しかし、これらを人に向けて使うヤツなどまずいなかった。

 

昭和っ子は確かに「野蛮」だが、「危険物」に対するリテラシーを自然に身につけていたのだと思う。おそらく平成の子どもたちも同等の能力を持っているはずだ。
先回りをしてすべての「危険物」を消してしまおうとする大人たちが考えるよりも、子どもたちは馬鹿でも無謀でもない。

 


 

【予告】次回はトミー「ポケットメイト」!
次回のテーマは「携帯ゲームの元祖? ポケットメイト」です。70年代っ子たちにとっては遠足や旅行のおともの定番商品。手のひらサイズのボディに詰め込まれたさまざまなアイデア、コレクション欲を刺激する多彩なバリエーションなど、その魅力に迫ります!
※次回は9月中旬公開予定

 

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●筆者:初見健一
1967年、東京都渋谷区生まれ。出版社勤務を経てフリーライターに。
主に1960~1980年代の玩具やお菓子、キッズカルチャーなどの話題を専門に執筆を続ける昭和レトロ系ライター。主な著書に『まだある。』シリーズ(大空出版)、『ぼくらの昭和オカルト大百科』(大空出版)、『昭和ちびっこ未来画報』『昭和ちびっこ怪奇画報』(青幻舎)などがある。

 

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