『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第4話
『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第4話
やがて、男はゆっくりと近づいてきた。
そして二人の前に立った。
その顔から、身体から、身に着けているものから、荒涼の大地が匂いたっていた。
「助けてくれたつもりか」
キリコが訊ねた。
「チ ガ ウ」
男は訛りの強い一般アスタラーダ語で言った。そしてキリコの持つ銃を指さし、
「ソンナ モノハ ニンゲンニダケ ムケロ」
と言った。
「人間にだけ?」
一瞬男の言っていることの意味が解らなかった。
「俺たちは…」
言いかけるキリコの言葉を、
「クイモノ ナラ アル」
と遮り、付いて来いと身振りで示した。
二人は十キロも歩かされたか…やがて男の住処に着いた。
それは、カブーの毛皮をなめした軽量だがしなやかで強靭な移動用住居であった。
「パオルーン」
男は誇らしげに言った。テントか家の意味らしい。
中に入ると使い方の分からぬものもあったがこの大地を生き抜いていく、一切のものが、そこにはあった。ただ特徴的と言えば工業製品のようなものが一つもなかった、まるで文明を拒否するかのように。
男は溜めた火を起こし、ソーセージの様なものを炙って、
「クエ」
と差し出した。それは空腹の援けもあってか、とびきり美味かった。
「カブーか?」
訊ねるキリコに頷き、
「ココニハ タクサン イル」
とにやりと笑った。その笑いの中にはこの荒涼の大地に迷い込んできたものへの、軽く、軽侮を伴わない、優越が含まれていた。
「ウルグゥンに何をした?」
キリコの問いに男は、蔦で編んだ投擲器とそれで投げるのだろう小袋を示した。男が小袋の臭いを嗅げと身振りで促した。
「うっ!!」
目と鼻への強烈な刺激に思わず顔をそむけた。
「ヤツラハ シバラク ハナガキカナイ」
男は笑った。
「グランツア ニモ キク」
「そうか」
キリコは決めた。
「俺たちもここに、居たい」
キリコとルーは男のパオルーンの近くにテントを移した。大きな声を出せば聞こえる範囲内である。あの大河も大きく蛇行し近くを流れていた。
当座の食料は男から提供を受けた。パオルーンの周辺にはいくつか天然の冷蔵庫、つまり永久凍土を掘った貯蔵庫が存在し、中には必要十分なものが保存されていた。
数日のうちに二人は男から実にいろいろのことを教えられた。重要度に順位をつければ、一番は男の名だろう、
『セタ・チャンギル・グドルホン』
この辺りの土地の言葉で“昔からいるものの従弟”とでもいった意味らしい。長たらしいので二人はグドーンと呼ぶことにした。
次に大事なことは虫よけ剤の作り方だった。
「コレヲ ツケナイト チガカラダカラ ナクナル」
と脅された。作り方は難しくなく材料さえあれば手間もかからない、薬草とでもいったものを三種類、しぼり汁を獣脂で練り込めばいい。
その日は突然やって来た。
陽の光に緩んだ永久凍土の表面から湧きたつように空間を埋めた無数の黒点。目の前に浮遊するそれを掌で払うと、まさにバラバラバラと言った感じの感触が当たる。
モスーである! 超大型のモスー! モスーというより小型の蠅! と言った感じか。
「うおっ!!」
顔と言わず手と言わず足と言わず、露出した肌を覆うように齧り付く! 叩たこうが払い落そうが全く関係ない。
「ハヤク ヌレ」
グドーンはすでに虫よけの手当てが済んでいた。作っていた最中に
(あまりいい匂いではないな)
などと思っていたがいやも応もない。必死で皮膚という皮膚に虫よけを塗りたくる。
「おおーっ!」
効果はてきめんだった。黒雲が身体から1メートルは離れた。
「コイツラハ スグイナクナル」
グドーンの言う通り一週間もすると、空気の組成が変わったかと思えるほどのモスーの群れが、ある日を境に、まさにパタっと消えてなくなった。
「どこへ行った、の?」
「イッショウヲ オエタ…」
グドーンは目をしばたいて呟いた。
「また来年か」
キリコも呟くように言う。
「ソウダ マタ ライネンダ」
三人は大河でモスーよけの油を落とした。夏とはいえ河の水は肌を刺すように冷たかった。
「モスーの一生って短いんだね。小さいからかな」
「そうかもしれないな」
キリコが答えると、
「小さいってつまらないね」
ルーが河原の石を川面に投げた。と、
「コノナカニハ サンビャクネンモ イキテルヤツガイル」
とグドーンが言った。
「三百年も!」
ルーの目が真ん丸になる。すでにルーは生物のおおよその寿命の知識を得ていた。人間がどのくらいか、カブーがどのくらいか、ウルグゥンがどのくらいか、グランツアがどのくらいか、三百年はそのどれをも凌駕していた。
「それって、どんな奴」
「サカナダ トテモオオキイ」
「グランツアよりも?」
「グランツアヨリモダ」
「……」
モスーが去って2週間、夏の盛りが過ぎた。
「カブーガ クル」
グドーンが狩りの準備を始めた。一年の食料を獲り貯める時が来たのだ。
「ツイテコイ」
グドーンが数日間分の食料をもって、促した。
グドーンは居住地から数十キロ離れた丘陵地帯ともいえる場所に拠点を据えた。そこは見晴らしのいい場所だった。この季節はテントを張らず地面に携帯した毛皮を敷くだけだった。陽の落ちない夜にウルグゥンの遠吠えが流れてきた。
翌朝三人がカブーを求めて歩いていると、丘の麓に群れの先発隊の姿が見えた。
「アレハ サイショノヤツダ ウシロニハモットタクサン イル」
「それを獲るの?」
「いや…」
ルーの問いにグドーンが答えようとしたその途中で、
「ミロ!」
とグドーンが彼方を指さした。
ウルグゥンのチームが現れ、見事な連携を見せて一頭のカブーを群れから引き離し追い立て始めた。群れから外されたカブーは必死の逃走を見せたが、やがて追い込まれ、疲れ、抵抗もむなしくウルグゥンのチームの手に落ちた。ウルグゥンの勝利の遠吠えを聞きながらグドーンが、
「カエル」
と踵を返した。
「カブーを獲らないの?」
ルーの質問に、
「トル デモ キョウジャナイ」
グドーンは二人を促し居住地に戻った。
「アレガ ウルグゥンノ ヤリカタダ オレタチハ オレタチノヤリカタガアル」
「俺たちのやり方? どんな?」
ルーの質問にグドーンは、
「オシエル」
とだけ答えた。
キリコはグドーンがウルグゥンの狩りを通して、さらに自分のやり方を見せて、この大地での生き方を示そうとしているのを感じた。
続く
イラスト:谷口守泰 (C)SUNRISE
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