『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第7話
『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第7話
「ドウダ?」
振り向くとグドーンが身を起こしていた。ルーはまだ眠りのうちだった。
「何にも」
本当に何にも起こらなかったのでそう答えるしかなかった。
「カワロウ」
キリコは左手に巻き付けていた釣り綱をほどいてグドーンに渡した。綱を渡してしまうとやることはなかった。かといって眠くもなかった。ただ黙って舷側に身を預けた。
大河は只ゆっくりと流れていた。
グドーンに替わっても、何も起こらなかった。
二人は夜の間に二度ほど交代をした。やがて―――、
彼方の黒い水平線に赤みが入り、それが黄金色に染まり、短い夜が明け始めた。夜明けは始まったとたん目を見張る速度で進んだ。
気が付くと朝は終わっていた。
左手に巻き付けた綱には相変わらず変化が無かった。ピクリとも水中からの便りは無かった。
やっとルーが目を覚ました。
「替わる」
―――ルーに替わっても何も起こらなかった。
昼になり代わるがわる食事をとった。食事はカブーの干し肉だった。
「ピガイーグルは食事をしないのか?」
ルーが真顔で聞いた。
「ソノウチスル ダガイツダカワカラナイ」
グドーンも真顔で答えた。
そのまま何も起こらず日が傾き重い夕方がやって来た。
キリコが綱を持っていた時だった。
「ん?」
かすかに綱に何かを感じた。腕に巻き付けていた綱を外し両手に持ち替えた。確かに何かを感じる。
(どうする?)
キリコには釣の経験はなかった。だが、綱には確かに何かの、ざわめきとでもいったような便りが伝わってくる。と、
「ドウシタ?」
キリコの様子にグドーンが声を掛けた。
「何かを感じる」
グドーンがキリコが持つ綱の先をそっと摘まんだ。
「………………スパンル ダ」
「スパンル?」
「アア、コザカナダ ホッテオコウ」
やがて綱の先のざわめきが収まった。再び何も感じなくなった。その日はそれでおしまいだった―――。
陽の沈まぬ夜がやって来て、暗くなりきれぬ夜空の左右にそれでも輝きを主張する一対の星が現れた。
「アビタ ト ミルダ ダ」
グドーンが、ルーに宇宙のどこにでもある星の物語を訥々と語った。
翌朝グドーンが綱を引き上げた。
「ミロ」
三つある仕掛けの一番上の肉の塊が針の周りを残して食べつくされていた。
「スパンルガタベタ」
グドーンは食い残された肉塊も仕掛けから外し、全部を新鮮なものに変えた。仕掛けを河に戻す前に古い肉を河に投げ入れた。
「コノカワニハ スパルンダケデナク イロイロイル」
肉は無駄にならないという意味であろうか。
その日も昼には船出をした岸辺を通過した。
昼頃カヌーの周りを河イルカが数匹遊ぼうよとでもいうように、時折ジャンプを交えて周回した。ルーは目を見張り、
「大きい!」
と叫んだ。
「ピガイーグルハモットオオキイ」
そう言うグドーンの声はどこか自慢げであった。
穏やかに流れる大河の彼方に黒雲の湧くのが見えた。
「アメガクル」
グドーンの予言はほどなく実現した。親指と人差し指で作った丸くらいの雨粒が一帯を叩いて通過した。それはカヌーの船底に水溜まりを作るほどだったが、
「あれ――っ‼」
ルーの叫び声が川面にこだました。指さす彼方には大河に掛かる橋のように、くっきりと、それも裾を交差させるように三つもの虹が出現していた。
「あれは何⁉」
「ニジダ」
「にじ……綺麗だ!」
それはルーにとって初めての虹だった。
「あそこへ行こう!」
ルーがオールを取り上げた。
「ピガイーグルハ ドウスル?」
「獲る」
「じゃあ綱は上げられない。このまま流れに任せるしかない」
「……分かった」
流れが川下の虹へ向かっているのを確かめたルーが同意した。しかし、カヌーが近づくに従って虹は薄れてそして消えた。
「虹が……無くなった。近づいたら消えた」
「虹とはそういうものだ」
「何で?」
「ソウイウモノダ」
「何で?」
「そういうものだ」
「何で?」
その後、ルーの質問は何度も繰り返されたが、二人からは『そういうものだ』という以外の答えは返ってこなかった。
そしてその日が終わった。
翌朝、仕掛けを上げたカヌーは帆もオールも使って出発地点に戻った。
「仕切り直しか?」
「ソウダ」
いったん本拠地に戻った三人はまずはぐっすりと睡眠をとった。
それから餌になる肉の部位を選び直した。脂肪の多い肉、脂肪の少ない肉、そして内臓。その三つの餌を仕掛けのどこに置くか? 針の掛け方は? 撒き餌は必要か? カヌーは流れに任せるだけでいいか?
「コンドハ コレモモッテイク」
グドーンが食料貯蔵庫から一抱えもある革袋を引きずり出した。
「コレハウマイゾ」
グドーンは厳重に閉じられていた革袋を開いた。あたりに異様な臭いが広がった。
「アクビック ダ」
グドーンは干し肉を革袋に差し入れ中のものをしゃくり出した。干し肉に掬われたそれは濃い茶褐色のドロドロとしたものだった。グドーンはそれを口に入れ干し肉を噛み千切った。モグモグと噛みしめ、
「ウマイ!」
と満足そうに漏らした。
その異様なものは一種の発酵食品と言えるものだった。カブーの肉と内臓を特殊な菌とで漬け込んでとろかしてあった。
「コレヲタベレバ ビョウキニナラナイ」
たぶんこの極北の地でビタミンやミネラルを摂る生きるための知恵なのであろう。
「クッテミロ」
グドーンは革袋の口をキリコに向けた。キリコは躊躇なく干し肉でそれを掬って口に入れた。さすがに衝撃的な臭いが鼻を襲ったが、噛みしめると、じんわりと滋味ともいえるものが舌先に沁み込んできた。
「ドウダ?」
「うまい」
「サスガダナ」
グドーンの言葉にキリコはひょっとして“れいの部隊”にいたことを分かっているのかもしれない、と思った。
「ルーモドウダ?」
グドーンはルーにも革袋を向けた。ルーはチラリとキリコを見た。キリコが頷くと、干し肉を掴み革袋の中のものをしたたかに掬って一気に口に運んだ。
「…………ウマイカ?」
ルーが咀嚼し呑み込むのを待ってグドーンが聞いた。
「うまい。クサイけどうまい」
それを聞いてグドーンが高らかに笑い、
「ナレレバ モットウマクナル」
アクビックを携行用に小分けしながら言った。
翌日、満潮に合わせて三人は再び川上に向け出発した。
折り返し地点に来て、帆を降ろしオールを上げた。
「コンドコソダ!」
グドーンは二人を見てそう言い、仕掛けを投げ入れた。
ピガイーグルを獲ると決めてから七日が過ぎた。
まだピガイーグルは獲れなかった。
キリコは考えていた。
(何で? ―――ピガイーグルを獲るんだ)
それは、あの時カブーを獲り続けるルーを見てグドーンが言いだしたからだ。
(グドーンはなぜ―――ピガイーグルを獲ろうと言い出したんだろう?)
自分も反対しなかった。
(ピガイーグルを獲りたかったのか?)
いやそうではない、ただ、ピガイーグルを獲るのも悪くない、と思っただけだ。
(なぜピガイーグルを獲るのも悪くないと思ったのか……?)
深く考えたわけではないが、確かにそう思ったのだ。
(何故グドーンはそう思ったのだろう?)
キリコの考えは大河を上がり下がりする、このぽっかんの様に変化なく繰り返された。
(グドーンもピガイーグルを獲りたかったのだろうか? いつかは獲ろうと思っていたのか? その昔獲ったことがあるのだろうか? 一人では無理なので、俺とルーが居るのでその気になったのだろうか?)
この三日間で、この大河の中には色々な生き物が無限にひしめくように潜んでいるのが分かった。仕掛けを上げたり下げたり、仕掛け直したりした。
その度にそのことが分かった。
ただピガイーグルだけがその気配を見せなかった。
三人が三人共、やめようと言い出さなかった。
(グドーンは止めようと言うまい)
とキリコは思った。だが、
(ルーも言わないな?)
それが不思議だった。綱を持つ自分の番が来ると、ひたすら綱と水面を見続けていた。誰かと代わると、
「あれはなんだ? これはなんだ?」
とグドーンに聞き、たまにはキリコにも聞いた。
この三日間で前のような驟雨が二度来て、二度虹が出た。だがルーはもう、
「あそこへ行こう」
とは言わなくなっていた。いずれは消えるものと認識したのだ。
また数日が過ぎた。
干し肉とアクビックにはまだ余裕があった。
やがて解ってきた―――グドーンはあえて言葉にはしなかったが、今やっていることは特別なことなんだということが。
『ピガイーグルを獲る』ということは特別なことなのだ。
じゃあ特別でないとはどういうことか。
特別でないということは、特別に何も考えないで、朝起きて、食べて、必要なこと気の向いたことなどを、何気なくやることなのだ。そうすれば時は自然と経ってゆく。
特別な事とは―――
『こうする』と決めることなのだ。そして、それは、そう決めれば、そう簡単には止められないこととなる。
続く
イラスト:谷口守泰 (C)SUNRISE
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