『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第8話
『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第8話
「考えたんだが……」
とキリコが切り出した。
「……何かが足りないんだと思う」
「ソウカモシレナイ」
グドーンはキリコが言おうとしていることを理解した。
「足りない? 何が?」
ルーの質問には答えられなかった。
「何かだ……ピガイーグルが餌に食いつかない。気に入らないのか? 気が付かないのか? 腹が空いていないのか?」
三人が三人共答えらしい答えを持っていなかった。
また待つだけの一日が過ぎた。重い空の夕方がやって来た。陽は落ち切らないが幾つかの星の瞬きが夜の訪れを告げていた。夜はゆっくりと更けていった。
「ん!」
綱当番のキリコが身をよじって振り返った。視線の先には干し肉の先で革袋の中から茶褐色のドロドロを掬い上げるルーがいた。
「それだ!」
キリコの声に干し肉を噛み千切りながらルーが答えた。
「臭いが、うまい!」
「アクビック」
キリコの声に船底から身を起こしたグドーンが、そうかというように頷いた。
キリコは急いで仕掛けを引き上げた。
「試してみる価値はあるだろう」
「アルナ」
グドーンも同意した。
引き揚げた仕掛けの古餌を河に投げ捨て、新しい肉塊にありったけのアクビックを仕込んだ。
「臭いが…」
「うまい!」
「ウマイガ」
「臭い!」
三人は期待を込めて新しい仕掛けをぽっかんした。
効果はてきめんだった。
次々に釣り綱に当たりが連続する。その度に、
「これは?」
とグドーンに当たりを確認するが、そのたびにグドーンは首を振った。
「コザカナダ ピガイーグルデハナイ」
何度も来る当たりにルーは待ちきれぬように、
「上げてみよう」
と何度も急かせたがグドーンは首を振り続けた。
三人は想像していた。水中の仕掛けに群がる大小の魚の影を―――、
そして、その魚影の後ろに迫る巨大な影を―――、
さらにその影が大口を開け、魚群もろともに仕掛けを一呑みする様子を―――、
そして―――、
……ついに、想像が現実になるその時がやって来た。綱番はルーだった。
「臭いが、うまい。うまいが、臭い。臭いがうまい。うまいが臭い」
歌いながら指先に伝わるツンツンという連続するあたりを楽しんでいると、ガツンという衝撃が一発来た。と次の瞬間にルーの指を弾き飛ばした釣り綱が船べりを削って水中に走り始めた。
「キタ‼」
みるみる山を崩していく釣り綱の走りを見て、
「サワルナ ケガヲスル」
グドーンが二人を抑えた。
「逃げない?」
水中に消える綱を見ながらルーが質すが、
「マダダ……」
と綱の走りを見ている。そして、
「イマダ」
余りを三分の一を残したところで、綱の走りの鈍くなったのを確認してルーを促した。ルーが綱に飛びつく、綱を掴んだルーの身体が一気に舷側まで持っていかれ、飛び出そうになったところをキリコが抱き留めた。
「綱を緩めろ!」
ルーの掌を綱が焦がしている。キリコは左手でルーを抱き抱えたまま、右手で綱を掴んだ。それでもズルズルと水中に引き込まれる綱がグシッと止まった。二人の後ろに綱尻を掴むグドーンがいた。船端に両足を掛け踏ん張りながらルーが聞いた。
「ピガイーグル?」
キリコもグドーンを振り返った。
グドーンは綱の重みを確かめながら、
「……タブンナ」
と言った。
三人は三人共その掌の中に怪物の重みを感じていた。三人によって止められた綱が怪物と船の間でピーンと張られるのが分かった。船はゆっくり流れとは違った力に引かれて動き始めた。
「船を曳いてる。すごい!」
ルーが目を見張る。この数日の船上の生活で船を動かすにはどれほどの労力がいるかを身体で知った言葉だった。
「スピードが上がってる!」
張られた綱を見て、
「ツナヲユルメヨウ」
グドーンが慎重に言った。
「分かった」
三人は綱の残りを徐々に吐き出した。切られたらおしまいだ。残りわずかというところで綱が緩んだ。緩みはいきなりだった。まったく手ごたえを感じない。
「タグレ!」
綱が切れた怖れを感じながら、三人は綱を手繰った。手繰れるだけ手繰ったところで、いきなり前に倍する引きが来た。それも方向が逆だった。危うく転覆を免れながら、三人は綱を繰り出した。船端を削る勢いの綱は三人の掌も焦がした。
「ヤツハホンキダ!」
グドーンの言葉通り引きに容赦はなかった。
「残りが無いぞ」
キリコがグドーンの判断を急かせた。
「トメルナ キラレル」
綱尻に結ばれた浮袋が河面にほおり込まれた。浮袋が引かれてグングンと離れていく。
その浮袋にはパラシュートクロスをほどいた糸が結ばれてあった。
「コレガタノミダ」
終わる気配も見せず糸はするすると出ていく。
「オウゾ」
グドーンがオールを握った。キリコもルーも倣った。
薄暗い川面には何も見えない。だが水中の怪物とは細いが強靭な糸で繋がっている。
「こうなれば根競べだな」
「ソウダ」
キリコの言葉にグドーンが答えた。
糸はその後数分で止まった。その糸を頼りに船は進んだ。
やがて暗い川面を進む浮袋に追いついた。
「ココカラガ ガマンクラベダ」
グドーンは浮袋に遅れず離れずに船を進めた。
怪物は一昼夜を川上に向かって泳ぎ切り、夜明けとともに方向を変え河口を目指して下り始めた。昼になっても泳ぎを止めないその様子に、
「ウミニデラレタラマズイ」
とグドーンが漏らした。
「そうだな」
同意したキリコが、
「だが、ピガイーグルは河の主だったよな」
「ソノハズダガ……」
グドーンは陸のことは何でも知っていたが、
「リクノモノハ ネズミモクウガ サカナハニガテダ」
と笑った。
「何で?」
ルーが聞く。
「サカナハナマグサイ」
すかさず、
「臭いがうまい。うまいが臭い」
と返した。
「ハハハハ、ソウダナ、コンドサカナノアルビックヲタメシテミヨウ」
船内に久方ぶりに笑いが戻った。と、
「方向を変えたぞ」
追跡していた浮袋が一旦止まり、川上に向かって上り始めた。
しばらく追って、頭上の太陽を確かめたグドーンが言った。
「シカケヨウ」
「仕掛ける?」
「ウキブクロノカワリニ フネヲヒカセル」
グドーンは浮袋に船を寄せ、それを引き上げた。
「モウ ツナヲユルメナイ」
グドーンは手順を再確認した。三人のうち一人が綱を握り、その間は残りの二人は休んで体力を温存する。疲れて浮き上がってきたら三人で一気に仕留める。
「判った。キリコもグドーンも寝てくれ。一番はルーがやる」
張り切りようが伝わってきた。
「任せた。二番は俺がやる」
「サンバンハオレダ」
二人はすぐさま船底に身を横たえた。こういう時はすぐさま休むに越したことはない。それが結果としてチームに貢献することになる。
キリコは目をつむる前に視界のはずれに一切れの浮浪雲を見つけた。つむった目にその白さが残った。
ルーは両掌に全神経を傾注していた。少しの緩みも許さぬという気構えで川面からピーンと己の掌にまで張られた綱を見続けていた。
(絶対獲る)
狭い船で数日が経つというのに疲れは微塵も感じていなかった。五感は研ぎ澄まされ、五体は充実しきっていた。
(逃がさない)
この糸の先に怪物がいる。カブーを一飲みにするというピガイーグルと繋がっているのだ。ビィビィっと糸が引かれた。ルーは、
(判っている)
とばかりに少し綱を繰り出す。焦って必要以上の圧力が掛かって万が一にも綱が切れてしまったら、
(それっきりなんだ)
ルーはこの数日の経験でそのことが分かりすぎるほど判っていた。
(でも、緩めてもいけないんだ)
緩めたら怪物を休ませることになる。ルーは自分たちが追いつめている怪物が可哀そうだなんてひとかけらも思わなかった。いずれその姿を目の前に現し、カブーを一呑みにするというその巨体に渾身の銛を打ち込む、その姿を想像するだけで身体中の血が煮えたぎるような思いに満たされるのだった。
(逃がさない、逃がさないぞ)
と、手の中の綱が走り始めた。
「ん!」
両の掌で綱を包む。綱の走りが早い。重い! 船端に両足を掛けて踏ん張る。でも、
(切ってはいけない!)
の思いが両掌の中の綱を走らせる。激しい摩擦が皮膚を削った。
「ウウウウ――‼」
血しぶきが舷側を濡らした。
「くうううーーっ‼」
走りを止めた綱をルーが必死で引いた、引き寄せた。――片手で綱を握りしめ、片手を外して掌をひらいて傷の深さを確かめた。
「ふう…」
持ち手を替えて片っ方の掌の傷を確かめた。傷を見ながら、ふと、ピガイーグルが名前を聞いているような気がした。
「ルーだ…」
ぽつりと答えた後で、
「チャイルドとも言われていたが……ルーが気に入っている」
と付け加えた。
続く
イラスト:谷口守泰 (C)SUNRISE
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