『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第9話
『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第9話
ルーは掌の傷を避けて綱を背に回し脇腹に通した。そして呟いた。
「お前にも名前をつけよう……」
ルーは考えたあげく、
「ピグだ。ピグにする。お前は今からピグだ」
声に出しそう言い、そしてそれは綱を通してピグに伝わったと思った。
(ピグ、早く会いたい)
ルーは此処へ来てからキリコとグドーン以外のものに呼びかけたことはなかった。ここにはウルグゥンもグランツアもカブーもいるが、それらはウルグゥンでありグランツアでありカブーであって名を持つものではなかった。キリコやグドーン以外で初めて名を持つもの、それがピグだった。
(ピグ早く姿を見せろ)
ルーは想いを込め、背中に回した綱を体重を掛けて引いた。ビクともしなかった。
そのままに河の中のピグはまだどこへ向かうのか、どうしたいのか、船を曳いて泳ぎ続けた。
「替わるぞ」
ルーの肩が叩かれた。
「どうだ?」
キリコの問いにルーは首を振って答えた。
「ピグはそのままだ」
「ピグ?」
「うん」
ルーはキリコに綱を渡して、
「名前を付けた。気に入ったらしい」
キリコは一つ頷き、
「そうか」
とだけ言った。
キリコは綱を左ひじに回して右掌で掴んだ。
「ピグは……」
と何か言おうとするルーに、
「ピグのことは任せろ。早く寝ろ」
と背を向けた。
キリコの番になっても変化はなかった。やがて、
「カワルゾ」
グドーンが綱を握り、さらに変化はなく時間は過ぎてゆき、そして、
「ピグはどう?」
と背中にルーの声がした。
「ピグ?」
振りかえってグドーンが聞いた。
「うん。ピグはどう?」
グドーンは首を振り綱を渡して、
「コイツハ……ピグハ トテツモナクツヨイ」
と言った。
ルーも、
「ピグは強い。とっても強い」
と同意し綱を背中に回した。
それからルーからキリコに、キリコからグドーンにそして再びルーに―――綱当番は何回りしたろうか、その数を誰もが分からなくなり、空が重く陽が西に傾いたその時だった。
「止まった! ピグが止まった!」
ルーが叫んだ。
確かに、大河の真ん中でまるで錨を降ろしたかのように、船は一点に止まっていた。つまりピガイーグル、ピグも河底に止まっているのだ。
「ショウブハコレカラダ」
「何をしている?」
「カラダヲヤスメテイルンダロウ」
「じゃあ」
「ソウハサセナイ」
グドーンは二人にオールを持つよう指示した。
「今度はこっちが引っ張るのか?」
「イヤ ツナガキレタラコマル」
グドーンの指示は、各人のオールをただ水中に垂直に立てるだけだった。オールに川の流れの圧力が掛る。その圧力が綱にも伝わる。
「コウスレバ ピグハヤスメナイ」
根競べの二ラウンド目が始まった。
しかしこの根競べはピグにとって不利だった。綱からの圧力は間を持たない、かわって船上の三人はただ待てばいいのだ。
さらに三人はただ待つだけでなく、じりじりと綱を手繰った。ピグと船とをつなぐ綱の角度が鋭くなる。その分だけピグは苦しくなる道理だった。
やがて、彼方の水平線とも地平線とも言えない一線に光が幅を増した。長い一日がまた始まった――。
「ピグが何か言っている」
伝わる綱の震えの意味をルーが読み取ろうとした。
「クルシンデイル」
「苦しんでいるの?」
「アア、クルシンデイル」
「苦しんでる」
ルーはその言葉を反芻した。
「ピグが苦しんでる」
言いながらルーも同じ苦しみを味わうように喘いだ。
「ピグヲハナスカ」
グドーンがルーの顔を覗き込んだ。ルーは激しくかぶりを振り、
「ピグに会いたい!」
叫んで綱を思い切り引いた。と、まさにそれに応えるように綱に猛烈な力が加わった。綱は船端に強い力が加わればほどけるような船員結びに結ばれていた。走る綱の角度がみるみる浅くなる。
「デルゾ!」
グドーンが叫ぶと同時に五〇メートルと離れていない河面が爆発した。しぶきの先端を割って巨大な丸みを帯びたものが天を打ち抜くように上昇した。
「ピグ‼」
その体は水面をおよそ五メートルほどにまで露出しさらに尾部は水中にあった。
「ツナヲ!」
グドーンの言葉と同時に三人が綱に飛びついた。
「ハナスナ!」
巨体が横倒しに河面を打った。すぐさま潜航に移る。三人の掌を削りながら綱が走る。
「モグラセルナ!」
グドーンの指示が飛ぶ。
「ピグ――‼」
ルーが叫んで舷側に両足を掛けて踏ん張る。グドーンもキリコももう綱を緩めなかった。その意思が通じたか綱の先のものが上昇に転じた。
「出る!」
と思ったとたん、それは水面を斜めに割り、そのまま巨体を波打たせながら河面を走り始めた。あおりを受け船体が回転するほどの衝撃を受ける。
「ツナヲハナセ!」
グドーンの指示だがルーもキリコも掌の圧力を緩めはしたが離さなかった。かろうじて船は転覆を免れたが二人の掌からは血しぶきが飛んだ。
それからは根競べの三ラウンドに入った。
ピグは船を曳きながら、あるいは跳び、あるいは潜りはしたが、そのどちらにも持続性を持てなくなっていた。
「ソロソロダ」
グドーンが言う。
「そろそろ?」
ルーがオウム返しに質す、
「ケッチャクガツク」
「決着? 決着がつく」
ルーがキリコを振り返った。
「相手も、ピグもそう思っている」
常に戦いの中に身を置いてきたキリコの本能がピグの心を読んでいた。
何日か前、三人はピガイーグルを獲ると決めた。三百年もこの河に君臨している王者だという。まさかその自分に歯向かうものはおるまいと思っていただろう。その自分が不覚を取った。自分と相手を繋ぐ細いが強靭な綱は、命と命で繋がっている。相手は自分に名前まで付けた。ピグという名だった。『ピグ』と呼びかけられた。なぜか自分もその名を気に入った。呼びかけた相手の声は幼かった。船の上にはあと二人ほどいるが、どうということはない。
この河では自分が王者なのだ。楽しくないことも無かったこの数日だが、そろそろ疲れた。
決着をつけてやろう、相手もそれを望んでいる。
「ミズニオチタラサイゴダ」
グドーンが二人に言った。
この北の大河の水は冷たい。河に落ちれば数分で体温は河と同化し、死ぬ。
「コノタタカイハ ゴカクダ」
グドーンの志はここにあった。
「モリヲトレ!」
三人はそれぞれの獲物を握りしめた。同時にピグにその気持ちが通じたか、ピグが今までと泳ぎを変えた。
「ピグが船の周りを回ってる!」
「フネヲネラッテルンダ」
「ピグはやる気だ」
あの巨体に体当たりされたらこの小舟など木っ端みじんだ、ひとたまりもないだろう。
「来い、ピグ――‼」
銛を構えたルーが叫んだ。まさにそれが合図ででもあるように、小山のような黒い塊が船に向かって突進を始めた。距離わずかに百メートル。それはあってなきが距離だった。ピグの頭の幅は優に船幅の二倍はあった。
「ホサキヲソロエロ!」
グドーンの叫びに三人の銛の穂先が突進するピグの頭部に集中された。
「オワッ‼」
三人の声にならない叫びの頭上をピグの巨体が掠めて過ぎた。小さなマストが吹き飛んだ。
「銛を躱した⁉」
その長い生涯のうちには人間との戦いも記憶されていたのかもしれなかった。
「タタカイカタヲシッテル!」
ピグは更に隙を狙い旋回を狭めてきた。
「クルゾ!」
再度の突進に再び銛の穂先が揃えられた。が、
「潜った!」
ルーの叫びの語尾が船底を削るピグの擦過音に掻き消された。船腹の一部が破れ水が浸み込んでくる。
「繰り返されたらやられるぞ」
キリコの予測通りピグは再びの突進を開始した。
「フネヲマモレ!」
三人は銛を水中に突き込んだ。意図を見抜いたピグは穂先のわずか下を悠々と擦り抜けた。
「コンドハドウスル?」
「また潜った!」
ピグの姿が消えた。綱を引かないところからみて離れたわけではなかった。
「下からだ!」
キリコがオールに飛びついた。グドーンが船端から顔が水につくくらいのぞき込んで、
「キタ‼」
と叫んだ。キリコが思い切りオールをひねった。船の舳が九十度変わった。その舳をかすめて黒い柱のようなものが突っ立ち、重い水しぶきを上げて水中に消えた。
「それは?」
オールを離したキリコが聞いた。
聞かれた相手の手には綱の切れ端が揺れていた。切れ端を持ってルーが言った。
「綱を切った」
「逃がしたのか?」
「ピグは逃げない」
「ソウカ」
「そうだな」
グドーンもキリコも納得した。
ルーはこの戦いがどう決着をしても、もし自分たちが負けてもその後のピグに負担を掛けまいとしているのだった。
「コレデホントウニゴカクニナッタ」
「ピグも納得する」
ルーが銛を握り直した。
続く
イラスト:谷口守泰 (C)SUNRISE
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