『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第14話

更新日:2021年4月13日 17:47

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『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第14話

 

翌日からの労働は思ったより過酷なものだった。

 

始めるのも終わるのも勝手なのだが、収穫量の確保は自己責任なのだ。

 

ここル・シャーンはその昔砂金探しの拠点だった。最盛期には数千人のガリンペイロがいたらしかったが鉱脈が枯れ収穫量の減少からいつしか無人となった。が、百年戦争末期ジジリュウムを積載した輸送機が墜落、砂金の代わりにジジリュウムがお宝になったという訳であった。

 

「今年ももうあと一か月ってところだな」

 

ボブゥーの説明によれば温度の低下で河に入るなどとても無理、河原での労働も不可能と言うことだった。

 

一日の作業を終え小屋で身を休ませていた時だった。ルーが、

 

「何をやってる?」

 

とボブゥーの手元に見入った。

 

「時間つぶしだ……」

 

ボブゥーは膝の上に広げたノートになにやら書き込んだり消したりしていたのだ。良く見るとそれは文字と数字の入り組んだ、いわゆる数式のようなものだった。

 

「それをやるとどうして時間つぶしになる?」

 

「それは、難しいからだ」

 

「何で難しい?」

 

「昔から誰も解けない問題なんだ」

 

「何で誰も解けない?」

 

久しぶりにルーの“なぜ? なぜ?”攻撃が始まった。

 

「お前は数学をやるのか?」

 

ボブゥーの質問に、ルーが、

 

「数学ってなんだ?」

 

真剣な目を向ける。

 

「これがそうだ」

 

ボブゥーはルーに自分のノートを見せた。

 

「……分からない」

 

それはそうだろうと、ボブゥーはキリコを見た。

 

キリコはボブゥーの視線を外した。この時点でルーの興味を説明するのは不可能と思ったのだ。ここはそ知らぬ振りをするしか手はなかった。

 

ボブゥーは困惑したが、その後の対応は丁寧だった。

 

「お前は、足し算引き算掛け算割り算を知っているか?」

 

「それは何だ?」

 

「じゃあ、これらは?」

 

ボブゥーはノートに数字を書きつけた。

 

「知ってる」

 

ルーの答えを待って、

 

「この数字は幾つだ?」

 

ルーは即座に答える。

 

「100だ」

 

「ふむ、じゃあこれは? これは? これは?」

 

「80、65、27」

 

このくらいのことは以前ドクター・ルフィテエンコに教わった。

 

「じゃあこの80とこの65を足すとどうなる?」

 

「足すとは?」

 

「一緒にして、一つの数字にするとどうなる」

 

「145」

 

「じゃあ145から27を引くとどうなる?」

 

「引くとは?」

 

「こっちの数字から、こっちの数字分を取るんだ」

 

「118」

 

「ふーむ。……足し算引き算は完璧だ。じゃあ掛け算はどうだ」

 

とボブゥーの確認は続いた。この時点でルーは掛け算と割り算はできなかった。だがその説明を受けるとものの数分という速さでそれらをクリアーした。

 

「うーん」

 

ボブゥーは唸った後で、

 

「じゃあ、これとこれを足して、これにこれを掛けて、これからこれを引いて、そしてこれで割るとどうだ?」

 

ルーの答えは速かった。そして正解だった。

 

「うーーむ」

 

唸るボブゥーに、

 

「もっとやろう。面白い」

 

とルーはせがんだ。

 

「ちょっと待て……」

 

ボブゥーは自分の考えを整理しようとした。このルーと言う少年か青年はどのくらいの教育を受けているんだろう。さっきは掛け算引き算も知らないと答えていたが、年恰好からいえばそのくらいの教育を受けていても不思議はない。いやむしろ普通だ。しかし、この少年か青年が嘘を言ってるとは思われない。この好奇心に満ち溢れた眼の光に嘘はない。だとすれば、

 

「お前、学校は?」

 

「学校? それは何だ?」

 

間髪を入れずキリコが答えた。

 

「この子は学校へは行っていない」

 

ボブゥーはキリコと顔を見合わせた。キリコは理由を言おうとしなかった。そして、ボブゥーも聞こうとしなかった。

 

(こんなところまで流れてきた二人だ。事情はあるだろう)

 

自分もそうだった。

 

(ここに流れ着いた連中はみんなワケを抱えている)

 

よしと心を決めた。

 

「九九と言うのがあるんだ」

 

「それは何だ?」

 

「これを覚えれば、掛け算割り算が格段に速くなる」

 

さっきの段階ではルーは九九を知らなかった。それでも答えは迅速で正確だった。

 

「教えろ。覚える」

 

ボブゥーはノートに九九の一覧を書き起こした。

 

(なんと‼)

 

それは再びルーへの疑問が頭をもたげるほどの驚きだった。ルーは九九の一覧をほんの二、三度諳んじただけで、

 

「これは便利だ」

 

と完璧に記憶したのである。

 

もう止まらない。ボブゥーが教える。ルーがマスターする。算数レベルから始まったボブゥーの講義は代数、幾何、解析、と進み、ルーの、

 

「もっともっと! 面白い! もっともっと!」

 

に急かされて一晩で集合、微分積分、線形空間論にまで進んだ。

 

「奇跡だ⁉」

 

と明け方に倒れ込んだボブゥーが、目を覚ました時二人はいなかった。まんじりともせず、昨日起こった出来事が夢である可能性の方が高いと思いつつ、ボブゥーは二人の帰りを待った。一刻も早く会うには収穫物を持ち込む小屋だろう。だから食事用のテーブルで待った。

 

やがて、二人が帰ってきた。収穫物を計量し、ズルージオに渡しテーブルに着いた。

 

「待っていたぞ!」

 

とボブゥーは二人を迎えた。

 

「昨日はありがとう。面白かった! 楽しかった!」

 

ルーが礼を言った。

 

「世話になったな」

 

キリコも口を添えた。

 

「礼なんかいい! それよりも話したいことがある。早く食事を済ませろ」

 

急かされて二人はスープとメシを持ち出しとした。小屋に帰り、

 

「変わらずにまずい」

 

と言いあいながら、それでもそれらを平らげ、ボブゥーの話を聞いた。

 

「私の名はボブゥール・シャラザイン。元を言えばメルキアのオルダーズ・ゴンカレッジで純粋数学の研究をしていた者だ。これでも結構その道では将来を嘱望されていたんだが、研究室の主任教授と折り合いが悪く飛び出てしまった」

 

ボブゥーの話はよくある類と言ってよかった。

 

「カレッジを出れば純粋数学では食えん。応用数学に転じ民間企業も転々とした。やがて悪いことにも手を出し、最初の頃には確率論が手助けしてくれたのだが、この世の中は、ハハ割り切れないことで成り立っている。数学のようにはいかん。そうなれば歯止めは利かず、挙句の果てはここにこうしているという訳だ。だが考えようによってはここはこれで天国だ。明日を考える必要が無い。とはいっても欠点もないわけではない」

 

ボブゥーはそこでいったん言葉を切った。

 

キリコもルーも言葉を挟まずボブゥーの次の言葉を待った。

 

「欠点の第一は、メシがまずいことだ。だがズオーボが作るんじゃあ無理もないハハハ」

 

ボブゥーは笑ったが二人には笑えなかった。

 

「もう一つの欠点は、時間がありすぎることさ。どうにも退屈になると、私はこれをやる」

 

ボブゥーはノートを取り出した。

 

「昔取った杵柄だが…」

 

言いながらノートを開いた。ノートにはびっしりと数学のものらしい数式が書き込まれていた。ルーの目が輝いた。

 

「見せて」

 

言うなりボブゥーの手からノートを奪い取るように手に取った。されるままにしてボブゥーはルーの様子を窺っている。

 

ルーはそのノートに記されている数式を熱心に見つめ、そしてややあってページを繰った。そしてまたページを繰る。そしてまた……。

 

やがて、ノートから顔を上げたルーが言った。

 

「一つも解けてない」

 

「証明されてない、とも言うな」

 

ボブゥーはルーの手からノートを取り戻しながら、キリコに言った。

 

「この子はおかしいぞ」

 

「……」

 

キリコは返事をしなかった。

 

「この子は、昨日の晩までは九九も知らなかった。それがどうだ。今は私のノートに書かれていることを理解している」

 

「……」

 

「こんなことはあり得ない。昨夜までは代数も幾何も解析も、その言葉すら知らなかったんだぞ」

 

「……」

 

キリコの無言にルーが庇うように言った。

 

「だって、教えてくれたじゃないか、自分が」

 

「ああ、教えたさ! 通常人ならカレッジに通って四年がとこ掛かる数学の知識をな!」

 

「……」

 

キリコは言葉を発しない。

 

「あんたはこの子は学校へ行ってないと言った。それは信じる。この子は九九も知らないと言った。それも信じる! あんたたちは嘘は言っていない、それも信じる。だが、何もしゃべっていない! 肝心なことは何も!」

 

「……」

 

「……」

 

キリコは変わらず無言だった。ルーはボブゥーの言ってる意味が解らなかった。

 

「いいか!」

 

ボブゥーは自分のノートを指先で繰った。何ページも何ページも。

 

「これらは数学上の“未解決問題”たちだ。私もかつては学究として数学を目指した。だから未解決問題には関心がある。自分の能力は信じられないが、ひょっとしてと言う淡い期待はある。一つでも解決できれば、娑婆に戻れるんだ。陽の当たるところに出られるんだ!」

 

ボブゥーの声の激しさと大きさに、小屋の一角の誰かが身を起こした。

 

「うるせーぞ学者! ガタガタ能書きをぬかすな」

 

「うるさいのはお前だ!」

 

「娑婆だと? 陽の当たるところだと? 俺たちゃそんなところには無縁なのよ。このクソ寒いところでまずいメシ食って、手足を腫らして、遠からずおっちぬのがさだめなのよおー!」

 

「…………」

 

ボブゥーの反論はなかった。そして、声を落として言った。

 

「……あいつの言う通りだ。娑婆に戻るなんて夢の夢だ」

 

ややあってキリコが初めて口を開いた。

 

「あんたは、何が言いたかったんだ?」

 

「もういいんだ。ハハ、ちょっと夢想しただけさ、それだけだ」

 

「何をどう考えたのか、言ってくれ」

 

ボブゥーが肩を落としたままぼそぼそと呟いた。

 

「数学と言うのは、結局は才能だ。どんなに勉強したって努力したって、最後は才能だ。最後の最後はひらめきだ。解に向かっての一直線のひらめきだ。だから……」

 

「だから?」

 

「変だぞこの子は⁉」

 

「……」

 

「だってそうじゃないか、一晩で俺の知識を吸収したんだぞ! さっき聞いたろう。この子が何を言ったか! 『一つも解けてない』と言ったんだ。未解決問題を未解決問題と理解したんだ」

 

「……」

 

キリコはボブゥーがルーを特別と認識したことを知った。

 

「期待してしまうじゃないか、私の知識とこの子の才能をもってすれば、この中のどれかが解に至るんじゃあないかと」

 

聞いていたルーが、

 

「やろう! やりたい」

 

と目を輝かした。

続く

 

イラスト:谷口守泰 (C)SUNRISE

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