『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第18話
『装甲騎兵ボトムズ チャイルド 神の子篇』第18話
その旅籠のようなホテルはグドーンが教えてくれただけあって、格好の隠れ家であった。
しばらくは平穏な時が流れた。ルーとボブゥーは部屋で飽きもせず終日数式と格闘していた。キリコの足は自然とバトリング会場に向かっていた。むろんバトリングがやりたかったわけではない。いやもっと世俗的な目的があった。
(金が欲しい)
と言うものであった。ル・シャーンでのジジリュウム堀で手に入れた金は三人合わせても一冬こせるかどうかと言うものであった。冬のヒニュヌスに稼ぐ手立ては少なかった。
バトリング会場を前にすると言いようのない懐かしさに襲われた。
会場前にたむろする怪しげな連中、呼び込みの塩辛声、場内から漏れてくる凶暴な鉄と鉄の激突音。それらの中から、
『やっぱり来ゃがったかキリコ!』
『キリコちゃ――ん!』
『キリコぉ―!』
ゴウト、バニラ、ココナの声が聞こえてくるような気がした。
場内に入ると、油と火薬とポリマーリンゲル液の臭い、酒とタバコと人いきれ、むっとくるねばりつく空気さえ心と体を揺さぶった。
人々の手には夢への特急券が握りしめられ振り立てられていた。それらのほとんどは数秒後数分後には空中に舞散り、地に落ち泥靴に踏みにじられる運命にある。
『ギャンブルってえのはな、胴元が儲かるように出来てるんだ。張る方に回ったら丸裸にされるのが定法てえもんだ』
耳の裏にゴウトの声が聞こえてきた。
(とっつあん、分かってるって)
キリコは鉄火場で言うところの“ケン”を決め込んでいた。ケンとは見のことで、賭けには行為として参加せず、ただ見ていることを言う。
「ピガイーグル」
板戸を叩いて合言葉を送った。
「どこ行っていた?」
ルーはボブゥーと飽きもせず数式と格闘していたが、そう訊ねた。
「バトリングを覗いてた。今日は軍の仕切りの会場だ」
「賭けたのか?」
ボブゥーが驚いたような声を出した。
「いいや」
「そうか、そうだよな。あんたは専門家だものな」
自分の過去の失敗を思い出してかボブゥーがほっと安堵の吐息を漏らした…が、
「まさか、やるつもりなのか!?」
さらに驚いたような声を出した。
「いや」
「じゃあ何で?」
ボブゥーの顔に不安が浮かんでいた。
「あんたらが、それをやるのと同じさ」
キリコはノートの数式に顎をしゃくった。
「う、うーん⁉」
ボブゥーは腑に落ちない声を出したが、それ以上は質問を控えた。
次の日もキリコはバトリング会場に足を運んだ。今度は自治警察が仕切る会場だった。
面白いことに二つの会場は雰囲気も群れる客層の色合いも違っていた。第一にバトリングを行う主役のATの佇まいからしてが違う。軍の仕切るバトリングのATは実弾を仕込めばそのまま戦場へ向かうことが出来る実戦仕様で、自治警察のバトリングのATは派手に工夫した独自の特殊武器を装備しエンターテインメント志向が強かった。そう、レスリングに例えれば、軍はアマレスで自治警察はプロレスという塩梅になる。まあファン層はそれぞれに分かれるようであった。
キリコはルーにもボブゥーにも他者への質問を禁じておきながら、
「こことあっちの交流バトルなんかは無いのかい?」
とそこらにいる客に聞いてみた。
「普段はやらねえよ。年に一回頂上決戦てのがあるが」
「へ―面白そうだね」
「俺は嫌いだ。リアルバトルなんか見たかねえ」
「リアルバトル?」
「ああ、実弾が飛び交うのよ。くだらねえ! 頂上だかなんかは知らねえが、命のやり取りなんざ戦争だけでたくさんだ、そうだろうが」
キリコの赤いパイロットスーツを見て吐き捨てた。
「まあな……」
キリコはその場を離れた。同じ場所での長話は禁物だ。他の場所で、
「あっちとこっちでリアルバトルをやるんだって?」
「頂上決戦な。ありゃあ面白れえ! なんてったって実弾ドンパチだからな。軍と警察の意地も絡んでくるし」
「そいつは面白そうだ」
ここでの話も適当に切り上げ、二、三場所を移動してよもやまの話を仕入れた。その中にバトリングの選手たちが集まる酒場というのあった。まあ大体が同じ世界で渡世をする情報交換の場所らしかったが、たまには酒の勢いで意地の張り合いになることがあるらしかった。
(そのうち覗いてみよう)
こんな感じでキリコのバトリング場通いは続いた。
三人がヒニュヌスの街に着いて二か月近くが経過した。三人の日常は表面的には変化の乏しいものであった。キリコのバトリング場通いは続いていたが、ただ行って試合を見て帰ってくる、この基本形には何の変化もなかった。だが、ルーとボブゥーは違っていた。
まず二人に向かって放つキリコのセリフは、
「もう寝ろ」
と、
「何か食え」
に限られるような変わり方だった。
二人はこの数週間、飲まず食わず、寝ず。――書いては消し、消しては加え、ノートを埋め尽くす数式との格闘に没頭していた。そうこうする日、
「……キリコ、話がある」
ボブゥーが朦朧と、心身のコントロールを喪失したような衰えた顔を向けた。
「何だ?」
朦朧を吹き飛ばすように目の奥が光った。
「大変なことだー……」
臓腑の全てから絞り出すような声だった。
「……?」
「私とルーは、いや、ルーと私は[クエント三千の予想]を解明しつつある。いや、もう九十九パーセント完成した。あとは証明の数式に添える論文を仕上げれば完璧だ」
「何のことだかよく分からない」
「分からないか、無理もない。私自身が事の真実を信じてないのだから」
ボブゥーは息も絶え絶えである。
「ルー、ボブゥーは何を言ってるんだ?」
「未解決問題の一つが解けたんだ」
「凄いことなのか?」
「凄いかどうかはルーには分からない。分からないが面白くて難しかった」
息を整え整えボブゥーが言った。
「キリコ、このアストラギウス銀河に幾つ文明を持った星があると思う?」
「さあな」
「ふん、俺だって知らない。だがギルガメスの数学者もバララントの数学者も解いたことの無い三千年の難問を俺たちは解いたんだ」
「凄いな」
キリコの抑揚のない返事にボブゥーが切れた。
「凄いな、だとー‼ 凄いなんてことじゃないんだよ! とんでもないことなんだよ! 天地がでんぐり変えるほどのことなんだよ! もーーぅ‼」
これが分からないかとボブゥーは身もだえた。
「そうなのか」
キリコはもう一度ルーの顔を見た。ルーは要領を得ない顔で首を振った。ルー自体はボブゥーとそのことに関しては価値を共有してはいなかった。
「あーあー‼ あーあー‼ あーあー‼」
ボブゥーは嘆きつつ床に倒れ伏した。
「大丈夫かボブゥー?」
キリコの問い掛けには答えず、ぼろ雑巾のようにクタクタになっていたボブゥーが、ヒクヒクと身体中をしゃくりあげながら身を起こした。
「……でも、この偉業は、たぶん埋もれちまうんだ。誰にも認められず、誰にも知られずに埋もれてしまうんだ」
ボブゥーの身体が悔しさに震えている。
「どういうことなんだ、分かりやすく説明してくれ」
「……いいか。これは本当に学問的に物凄いことなんだ」
「それは分かった。その先だ」
「分かっただと、ふん、どうだかな、怪しいもんだ」
ボブゥーは自分が理解し、他人が分からないことに苛立っていた。
「学問の世界には学問の世界の……シキタリってものがあるんだ。だからこの世界の権威にこの問題が解けたことを認めてもらわなければならないんだ」
「それが、正しい答えなら認めてもらえるだろうが」
「ハイ、出来ました。おう、良く出来ましたグー、なんて具合にはいかないんだよ」
「そうなのか」
「そうなんだよ!」
キリコもルーもここは黙って聞くしかなかった。
「いいか、学問の世界は、普通その専門に合わせて学会と言うものに所属してるんだ。まず何か研究成果が出たら、その学会で発表するんだ。その学会の会員が寄ってたかってそれを審査するんだよ」
「今回はそれが二人が解いたクエントの何とかなのだな」
「クエント三千年の予想! それで学会の中で、これはどうやら本物だぞ、となったらさらに上の権威にその研究成果を審査してもらうんだ。これにはその筋の権威が数十人数百人掛かって更に更に精査する。それで間違いない、これは確かな答えだとわかって初めて、それが誰の学問成果かが正式に認められ発表されるんだ」
「筋としては真っ当な気がするが」
「真っ当さ! 真っ当すぎて涙も出ないや」
「それがどう問題なんだ?」
ここでボブゥーがうなだれてしまった。
「どうしたボブゥー?」
「私は……はみ出し者だ。学会に入っていない。いや学界に放逐された身だ。博打で身を持ち崩し不義理を重ねて追放されたんだ。今では誰も相手にしてくれない」
「……」
「せっかくの、せっかくの研究成果も……まさかまさか、クエント予想の証明に辿り着けるなんて思ってもいなかった、……なのになのに」
ボブゥーはルーにその憔悴した顔を向けた。
「ルー、すまない。すまない。すま……」
言葉尻は声にならなかった。ルーはびっくりして、
「ルーは楽しかったよ。面白かったよ」
とボブゥーを励ました。
「よし」
キリコはそう言って立ち上がった。部屋を出て階下の酒場から一本の酒瓶を持ち帰った。
「ア・コバのガラッチだ。やわじゃないぜ」
コップ三つにガラッチをなみなみと注いだ。
「飲んで寝ろ。きっといい夢が見られる」
祝いのつもりかコップをちょっと掲げて自分からグッとやった。咽るほどの酒精が喉と食道と胃を焼いた。
それを見ていたルーとボブゥーが続いた。
「ウフッ」
二人とも頬を膨らませて危うく酒が口から吹きこぼれるのを避けた。ルーはむろんボブゥーも酒は強くなかった。
「グッとやれ、胃にほおり込め!」
言うほどキリコも酒は強くない。
数分の後三人は釣り上げられた古代魚のように、ごろりと正体なく寝入っていた。
続く
イラスト:谷口守泰 (C)SUNRISE
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