第28回東京国際映画祭にて富野由悠季監督が登壇! 落合陽一助教授、小形プロデューサーとの鼎談の様子をレポート
第28回東京国際映画祭では、「ガンダムとその世界」と題したテーマで「機動戦士ガンダム」シリーズを大きくフィーチャーしています。10月23日には新宿ピカデリーで富野由悠季監督の作品である「ガンダム Gのレコンギスタ」と「Ring of Gundam」が上映されました。
この上映会の後には、富野由悠季監督ご本人と、「Gのレコンギスタ」プロデューサーである小形尚弘氏、そして筑波大学デジタルネイチャー研究室助教授、メディアテクノロジストでもある落合陽一氏の3人が登壇しました。
映像論から宇宙開発、メディア、ネットワークやエネルギー問題、そしてガンダムに至るまで、多分野を股にかけた濃いトークが繰り広げられました。ここでは、その様子をレポートいたします。
まずは落合氏が「スクリーンは二次元的に存在するけれど、三次元的に映像を動かすにはどうしたらいいのか。また、その映像自体に触覚があったら、それは映像のパラダイムを超えて物質的にふるまうのではないか。映像の中だけでなく、三次元でも物体を動かしたりするにはどうしたらよいのか、ということを研究しています」とご自身の研究の一端を映像を交えてで解説。プラズマや超音波など、文字通り魔法のような触覚を持った映像がスクリーンでは紹介されました。「有り難いことに、(落合監督は)とんでもないガンダムファンです」とは富野監督の弁。
●今の時代に「Gレコ」を問うた意味
自著「魔法の世紀」の発売を控えているという落合氏は、「20世紀は映像が極めて強かった時代だったけれど、メディアの特性、映像の時代のパラダイムが崩れてきた。コンピューターとモバイル機器で崩れてしまった。いま、テクノロジーはもう少しで魔法のような時代に届くので、次の21世紀を考えて行かなきゃな、という話です」
これを受けて小形氏は、「コンピューターを受ての変革は、われわれアニメーションの世界でもディズニーのCGアニメーションなど、他人事ではありません。そんななかで『Gレコ』はいまだに手描きのアニメーションなわけですが、これは監督、どういうことでしょう」とそのスタンスを確認。
対して富野監督は、「20世紀が創りあげた文化があるから、遺産になるような作品を作っていきたいな、『Gレコ』でそれをやってやるぞ、という”粋がり”はあります。この文化を1ジャンルとして残していきたい、そのためにやったのが『Gレコ』で、それは間違いじゃないんじゃないかな、と」と頼もしい言葉。落合氏も「映像は文化、アートとして存在しています。手描きアニメは好きですね。世の中が全部CGに行っているのに、手描きアニメというのはパンクじゃないですか。初代ガンダムのロボットの動きのほうが、CGのガンダムよりロボットとして”くる”ものがある」と応えました。
また、CGのこれからについて落合氏は「将来的にはコンピューターで、手描きアニメと同じような表現が出来るようになる。代替可能になると思うんです。そうなったとき、コンピューターが何をサンプリングして良いか、というときには先人の遺産を見なければならない。富野監督の思考とプロセスは、今残さないと永久になくなってしまう。そのときのためにも、富野監督はいま、ベストエフォートで素晴らしい作品、基準となるものを作っておいて欲しいんです」
●ガンダム世界を支えるミノフスキー粒子
その富野監督の思考とプロセスのひとつであり、ガンダム世界を動かす”エンジン”のひとつでもあるミノフスキー粒子というアイデアについて富野監督からの説明が。
「1stガンダムのときにミノフスキー粒子はドラマを作るために作られました。宇宙戦でとっくっみあいをするにはどうするか、というときには遠隔兵器を壊さないと行けない。そのために無線を遮断する、ということを思いついた。映画を作るために発明したんです」と、あくまで演出面からの発想だったことを強調。
そして、「まだミノフスキー粒子は使える。コンピュータ技術がここまで発展したにもかかわらず、ガンダムの世界が揺るぎないのはミノフスキー粒子があるおかげで、コンピューターもへったくれもない。いまだにとっくみあいが出来る、愛憎劇が出来る。愛し合うには手が届くところで抱き合わなければならないんだよ、という原則を揺るがさない。そういう意味では改めて秀逸なアイデアだった」と自身の産み出したアイデアの力強さを語りました。
●発想の入り口としてのアニメーション
さらに富野監督は、「ガンダムのような入り口から工学に入っていく人がいます。宇宙開発を含めた資源はどうなのか、というのを次の世代に本当に考えてほしいと思ったから、『Gレコ』という舞台を作りました」と若い世代へのメッセージを強調。
軌道エレベーターであるキャピタル・タワーに関して、「『Gレコ』のキャピタル・タワーという設定は、クリーンエネルギーだけではまかなえない。雷を使う、地球そのものがバッテリーかもしれないという想定で、そのくらいのテクノロジーでなければ『Gレコ』のなかのキャピタル・タワーというものは成立しないんだよ、と。そういうことを、いまから50歳若い子に考えてもらったら、突破する方法論を見つけてくれるんじゃないかと」と、作品に込めた想いを吐露。
落合氏は「14歳のときに何を見たかで人生は決まっちゃうんですよね。僕は『機動戦士Zガンダム』を再放送で見た世代なんです。それで”どうやって人類を革新したらいいか”ということに燃えたわけです。だから、『Gレコ』を観た人が14歳でクリーンエネルギーを始めるかも知れないし、もしかしたらテクノロジーをどう語るかとか、その裏にある人間ドラマをどうやって語るか、ということを考えるかも知れない。アニメを通じて強いメッセージを受け取ると言うことは、14歳にしては物凄い重要なことなんですよね」と自身の経験を告白します。
富野監督は「10歳から15歳の子が、“これはこうかもしれない”と思うような種まきをしたいと思って、僕は『Gレコ』を作っています」と語ったあと、会場に来ていた若い世代に「がんばってねー!」とエールを送っていました。
●フィルムの在り方と映像の今後
落合氏も「どうやったら14歳の子供に語りかけられるか、(僕は)バラエティ番組に出ることとかも大事にしていて、いまは”映像の世紀”で良いタイミングなんです。このタイミングで言っておかないと、チャンスはなくなってしまう」と富野監督と同じ意見。
富野監督は映像について、「まだ“映像の世紀”は引きずってはいる。ただ、映像という言葉はいま日本語で“TVのブラウン管”とか、“VTR”とかいう言い方もあるし、”動画”という言い方とか……とにかく元フィルムだったものを、いま我々は、もっと新しい言い方をしなくちゃいけない。動画作品とか、動画的なものを。もっと新しい表現を発明しなければいけないときが、今日、本当に来ているんじゃないかな」と提言すると、落合氏は「フィルムはもう使っていないですからね」とコメント。
「だから、これはもう今やレトリックの問題では無いわけです。東京国際映画祭に関して言えば、ある歴史を背負っているのだからフィルムという単語を使っても良いと思うの。お習字の筆みたいなものだから、これは痕跡として残しておくべきだと。だけど、これ以降はもう、とっくの昔にフィルムは無くなっているのだから……。そういうものの、新しい呼称を考えるときに、われわれはもう少しフレキシブルに物事を考える視点を持たなければならない」と“フィルム”の在り方についても言及。
「でも、お父さんやお母さん、30を過ぎた人は社会人としての回路を持っているから、そこに行き着かないんです」と若い世代へ期待を熱っぽく語る富野監督に、落合氏がすかさず「最大の敵は親ですからね。監督が言っていたじゃないですか、監督のアニメを見て育つと、みんな親は敵だって……」と富野作品から得たメッセージを語ります。苦笑いする監督に、会場からは大きな拍手が。この拍手に大きな笑顔で応えた富野監督は、「なんでそこで拍手するの! ……ハタと考えたら、私でさえすでに、孫がいるということは物凄い強大な敵になってしまってるわけね……。逆から言えば敵の立場からわかる問題点というのも分かっているから、その問題点はきちんと会議しておきたい。死ぬまでにもう少しなんとか立ち入りたいな、と思いますので、今後とも『Gレコ』の支援をよろしくお願いします」と締めくくりました。
富野監督と落合氏という、映像に携わる才能のトークはまさに丁々発止で、興味深い話題が飛び出してはすぐに次の話題が始まる、鋭いトークセッションとなりました。第28回東京国際映画祭は10月31日まで開催。「ガンダムとその世界」のなかでは、ガンダム作品の上映がまだまだ行われます。裾野を広げ、アニメのみならず拡散し続けているガンダム作品。その息吹をぜひ劇場で感じてみてください。
<関連情報>
第28回東京国際映画祭
http://2015.tiff-jp.net/ja/
ガンダム Gのレコンギスタ
http://www.g-reco.net/