『キャプテン・アース』デザインの現場 荒牧伸志(その1)
『キャプテン・アース』に深く関わるデザイナーの皆さんに本作品をデザインという視点から語っていただく「デザインの現場」。第5回はデザイナーとして大ベテランであり、映画監督としても活躍する荒牧伸志氏に突撃インタビューを敢行。メカデザインについて語っていただいたその様子をお贈りします。
<PROFILE>
コヤマシゲト(こやましげと)
デザイナー。1975年/東京都出身。04年、OVA『トップをねらえ2!』に参加したのをきっかけに、多数のアニメ作品にかかわる。五十嵐卓哉監督作品では前作『STAR DRIVER 輝きのタクト』のサイバディデザインに引き続き、『キャプテン・アース』ではエンジンシリーズデザイン・メインデザインワークスを担当する。
荒牧伸志(あらまき・しんじ)
映画監督、メカニックデザイナー。1960年/福岡県出身。CG表現の先駆者で、ハリウッドで多数の3DCG映画を監督している。デザイナーとしても演出家としても、日本のトップクリエイターである。代表作に『メガゾーン23』ガーランドデザイン、映画『キャプテンハーロック-SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-』ほか。本作では天海道などをデザイン。
『自分のやりたい映像をどうやったら作れるか、という実験という意味ではつながっていると言えますね。』(荒牧伸志)
インタビュー:電撃ホビーマガジン編集部(2014/8/15)
※インタビューで語られる画稿は電撃ホビーマガジン2014年11月号に掲載されています。
―キャリアの長い荒牧さんですが、この業界に携わったきっかけをお聞かせください。
荒牧伸志(以下、荒牧):大学で自主製作のアニメを作っていたら、東京にいる先輩から「仕事があるぞ」と、タカラ(現・タカラトミー)に連れて行かれて、ミクロマンを始めとする男児向け玩具のアルバイトを始めたのがきっかけです。当時はミクロマン・シリーズも最後の方で、隣は河森(正治)さんがデザインをやっていたダイアクロンの部署でした。
コヤマシゲト(以下、コヤマ):え!? あのミクロマンをですか!?
荒牧:僕はミクロマンそのものではなくて、ミクロチェンジ・シリーズという『トランスフォーマー』の前身みたいなシリーズのデザインをやっていました。「カセットマン」や「カメラロボ」とかをデザインしました。
コヤマ:マジですか(喜) !!!!
荒牧:あのカセットマンのパッケージイラストは、僕が描いた絵のポーズがそのまま使われてるんですよ。付属していたシールも僕がデザインしています。
コヤマ:デストロンマークのモデルにもなったという、サウンドウェーブ(=カセットマン)の頭部をデザインしてらしたとは……!
―いきなり第一線で活躍されたんですね。
荒牧:当時はそんな意識は全くなかったんですけど(笑)。東京に来たその年の秋にアニメ企画会社アートミックの社長と知り合ったのですが、そこで当時話題だった『超時空要塞マクロス』の対抗馬として企画された『機甲創世記モスピーダ』に関わったのがアニメ業界では最初になりますね。
コヤマ:なるほど! 荒牧さんは僕の根幹を作られていたんだと感動しました(笑)! 魅力的なメカがたくさん出て来て夢中になった子供時代を覚えています。
荒牧:あの当時、変形する戦闘機を出しても(バルキリーの)パクリだと思われるじゃない(笑)。それが嫌だったので、企画にはなかった「変形するバイク」を勝手に描いて提出して、それが採用となって「モスピーダ」に。結局変形する飛行機(レギオス)も出てきちゃったんですけど(笑)。
コヤマ:あの「ライドアーマー」の顔は相当エポックでしたよね。目も、口もないという。
荒牧:その後、アメリカでオンエアするアニメ作品のためにロサンゼルスに渡ってデザインをやったのですが、その時に日本語の通訳をやってくれたスタッフが、その後、ワーナーのアニメ担当になったり、そのさらに友人が今私と一緒にやっているスタジオの共同経営者だったりするんです。いろいろあの経験も無駄ではなかったな、と(笑)。
―最初から非常にグローバルな活動をされていたんですね。
荒牧:まあ、成り行きですけども。その仕事を片付けて帰国してみると、TV用の企画として進められていた『メガゾーン23』が、今度はOVA用の企画として動いてました。
コヤマ:1本目ですね。
―『メガゾーン23PARTⅢ』ではメカデザインの他に監督もされていますね。
荒牧:監督をやることになったのは、メカの見え方やアクションについてアイデアを出していたら、「そうか! アニメーションってメカだけじゃ面白くならないんだ」とやっと気がついて(笑)、「それじゃあ、話(演出)もやらなきゃ」と。そういう順番ですよね。監督としてのデビュー作は、『メタルスキンパニックMADOX-01』という作品です。
―荒牧さんの作品はCGを使うものが多いですよね。
荒牧:『メガゾーン23PARTⅢ』を作った時に、難しい動きもCGでやれれば上手くいくんじゃないかと思えたんです。とくにメカはね。それで、お世話になったアートミックを辞めてCG会社に移ったんですよ。
コヤマ:そうすると、CGに携わられたのも相当早い時期になりますよね?
荒牧:もともと、ILM(インダストリアル・ライト&マジック)みたいな特殊効果やVFXをやりたかったんです。アニメの次のステップ……というと偉そうだけど、CGでも面白いことができるハズ、という興味から、そちらの世界へ。実際にあの頃はアニメでは行き詰まっていた感覚もあったんですよね。CGの会社では、『エースコンバット2』のエンディングや『バーチャファイター2』のティザームービー等を作っていました。
コヤマ:そうなんですか! ことごとく荒牧さんが僕の人生の前に現れるという……(笑)。そうしてお仕事をしながらも、ある種のCG映像の実験をなさっていた、と。
荒牧:これぐらいまではやれるとか、こういうことが得意じゃないのね、とか。CGの得意不得意を見極めるようなことをやっていましたね。
コヤマ:それが今の映画製作につながっている、という感じでしょうか?
荒牧:自分のやりたい映像をどうやったら作れるか、という実験という意味ではつながっていると言えますね。最後にやったのが大友さんと一緒にやった『ガンダム』20周年の映像(『Gundam Mssion to the Rise』)でした。大友さんがやるというので面白そうだから、「ここまではやる」といってやらせてもらって。凄い面白かったですね。大友さんと呑みに行くのもまた面白かったという(笑)。
―もちろん、メカデザインの方も続けられていますよね。
荒牧:1998年の『ガサラキ』の頃からフリーになって、メカデザインをしています。2003年には『アストロボーイ・鉄腕アトム』を、それこそ高倉(武史)君と一緒にやっていましたが、その時にTV向けにフルCGアニメのパイロット版も作ったりました。その頃ですね、ボンズで『鋼の錬金術師』が始まったのは。そして、その仕事でボンズへ通っている内に『ソウルイーター』で五十嵐監督と一緒に仕事をするようになったんです。
(10月27日につづく 1/4)
<関連情報>
その1:『自分のやりたい映像をどうやったら作れるか、という実験という意味ではつながっていると言えますね。』
その2:『ちゃんとリアクションしてくれるので、やっていて楽しいんですよ。』
その3:『下書きしちゃダメなんですよ、コクピットは一発書き出来るようにならなきゃ(笑)。』
その4:『何を描いても「こんな面倒臭いものを描かせて、申し訳ない!」という気持ちでデザインやっています。』
(C)BONES/キャプテン・アース製作委員会・MBS